石狩市民図書館

石狩市民図書館ブックレビュー

2022年4月15日更新
第16回『それがどうした風が吹く』松村雄策(二見書房)




 今年3月12日、音楽評論家の松村雄策氏が70歳で亡くなりました。
 学生時代に「こういうのが文章を書くお手本だ」と、先輩から最初の著作『アビイ・ロードからの裏通り』を薦められたのがついこの間のことのようです。

 音楽雑誌「ロッキング・オン」立ち上げ時のメンバーであり、同誌を中心に毎月のように文章を発表していながら、いわゆる「評論家」と一線を画す存在だったのは間違いありません。
 難解な言葉や少々強引で捻った論旨の記事が多いと感じられることもあった同誌の中、松村氏の平易でわかりやすい文章は明らかに異質なものでした。自身の身辺雑記からレコードやコンサート評に移るというスタイルの文章も多く、その取っ付きやすさから「これなら自分でも書けるのでは?」と多くの読者(評者含む)が勘違いし、我も我もと挑戦してみたものです。
 そしていざ自分で書いて初めて理解するわけです。一見シンプル極まりない松村氏の文章が、考え抜かれた言葉使い、ぎりぎりまで無駄を削ぎ落し練り上げられたものであることに。
 有名なエピソードとして、ワープロも普及していない時代、編集者に電車内で直筆原稿を紛失されてしまい、青ざめる彼の前で苦笑しながら、その場でほぼ同内容と思われる文章をすらすらと書き直して渡したというものがあります。頭の中でとことん突き詰めた文章だからこそ、完璧なまでに記憶していたということなのでしょうか。

 現時点で9冊の単著を遺されましたが、当館では本書を所蔵しています。
 このエッセイ集は、本・映画・酒そしてプロレスといった音楽以外の題材が多く取り上げられており、ファンとしてはもう少し音楽の話を、と思うところもあります。が、逆に手に取りやすく、どんな馴染みのない素材でもすらすらと読ませてしまう文章力を味わうには格好の本だともいえます。
 久しぶりに再読してみると、最初のエッセイで、北海道出身の作家・佐藤泰志氏のことを書かれているのが驚きでした。没後に評価がうなぎ上りとなった現在を考えると、その先見の明に唸らされます。佐藤氏が亡くなった直後に書かれたようですが「その主人公の年齢がいくつであっても、それは現在進行形の青春小説なのである。」と、この時点で鋭く言い切っているのが印象的です。佐藤氏の故郷函館市とビートルズの出身地リヴァプール、同じ地方の港町という共通の舞台背景に通じるものがあると評しているのも、ビートルズこそ人生という生き様だった松村氏ならではの面目躍如な指摘といえるでしょう。
 この他にも、飄々とした松村氏の人柄がのぞける文章であふれています。

 松村氏の著作は現在入手が難しいものも多いようです。再評価も兼ねた復刊・新装版を望みます。
 (石狩市民図書館 N・K☆)


2022年3月31日更新
第15回『荷風追想』多田蔵人編(岩波書店)




 明治~大正~昭和という激動の時代を生き抜き、代表作『濹東綺譚』や死の直前まで書き続けた日記『断腸亭日乗』が今でも読まれ続けている文豪・永井荷風ですが、その最大の作品は「荷風自身」であると考えている人は少なくないと思われます。
 いわば次のようなイメージではないでしょうか。個人主義、反骨精神、孤独、偏屈、散策好み、江戸趣味、奇人変人、そして女性好き。

 そんな孤高を貫いた荷風の生き方に惹かれる人は一向に減る様子がなく、毎年のように何らかの関連書が出ているようです。それも作品そのものより、もっぱら『断腸亭日乗』から引いた荷風自身のエピソードやそのライフスタイルを取り上げているものが多く、また読者もそれを歓迎しているということなのでしょう。こうした実在のキャラクターとしての人気ぶりを誇る作家は他にヘミングウェイくらいしか思いつきません(太宰治はそのパーソナリティのみに興味が集中している気がしますし)。作家として荷風がこんな現状を知ったなら不機嫌になるかもしれませんが…

 本書は、作家、関係者、付き合いのあった人々などによって、生前の荷風のことについて綴られた文章を集めたアンソロジーです。こういった性格の書籍が、亡くなった直後ならともかく、没後60年以上経過した今出版されること自体が荷風のいる特異なポジションを証明するものであり、しかもこれが実に面白いのです。

 文中の谷崎潤一郎を始めとした同時代の親交ある人々の手で紹介されるエピソードは、やや自己脚色もあったといわれる『断腸亭日乗』だけではわからない生の荷風像を垣間見させてくれます。
 昭和初期に荷風を囲んでいたサークルの友人知己たちによる回想文を立て続けに並べたり、罵詈雑言追悼文の次に、別の人の「死人については、よきことのみを語れ」で始まる文章を配置して読者をニヤリとさせたり、単なる思い出話の寄せ集めではない巧みさが光る構成で、編者・多田蔵人氏の力量とその苦労に感謝したい気持ちです。

 第三者の視点から、永井荷風という巨人の実像が多面的に浮かび上がってくる一冊となっています。

(石狩市民図書館 N・K☆)


2022年2月19日更新
第14回『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』 ジェイムズ・リーバンクス(早川書房)




 イギリス北西部の湖水地方は、昔ながらの美しい水辺風景が広がる、この国屈指の観光地です。文学とも関係が深く、たとえば「ピーター・ラビット」の生まれ故郷としても知られています。写真で見ても、我々がイメージするところの牧歌的な英国田園風景そのもの。
 現在は雇用の半数以上が観光産業だというこの地で、600年に渡り羊飼いを生業としてきたのが著者の家系です。その日々の生活と一族の物語を綴ったのが本書になります。

 羊飼いといえば『アルプスの少女ハイジ』のペーター少年…ではないですね。彼が飼っているのは山羊でした!
 ですが羊飼いというイメージはああいったものではないでしょうか。朝一番に羊の群れを連れて行き、野の草をいっぱい食べさせ、夕方にはゆっくり帰ってくるという。
 穏やかでのんびり、自然と一体化したピースフルな仕事。

 そういうほのぼのとした印象は、ことごとく覆されていきます。
 過酷な自然環境、羊たちの生死のドラマは日常的、著者の時代には羊の大半を失う口蹄疫という疫病までが襲いかかりました。のどかなイメージの放牧も、今では牧羊犬とともに四輪バギーで羊を誘導し、危険な場所も通過しなくてはならない神経を使う仕事であることを読者は知ることになります。
 その一方、コストの問題で、昔からの伝統のやり方が今でも通用することを著者が気づく箇所などは、この仕事の奥深さを垣間見られる重要なところでしょう。
 
 実はもうひとつの読みどころが、一見本筋から離れるような中盤以降です。父と対立した若き日の著者が選んだのは、なんとオックスフォード大学へ進学という道。そこでの研鑽が本書に結実したのは間違いなく、著者がいなければ間違いなく埋もれていたこの地方の羊飼いの文化を、広く世間に知らしめる成果につながったといえます。実際、本書はイギリス本国でベストセラーになり、各国で翻訳出版され好評を得ました。
 その下地として、著者の身近に母方の祖父が残したヘミングウェイなどの膨大な蔵書があったというのは、改めて読書のもたらす人生・社会への影響の大きさを図書館員として痛感させられました。

(石狩市民図書館 N・K☆)


2022年1月27日更新
第13回『地球温暖化で雪は減るのか増えるのか問題』 川瀬宏明(ベレ出版)




 雪、本当に多いですね今シーズン。しかも重くて固い。雪かきに疲れ果て、除雪が追い付かない道を毎日うんざりしながら通勤・通学されている方々も多いと思われます。
 その一方で、今は地球温暖化が問題になっているのではなかったのか。温暖化ならどうしてこんなに雪が降るのだ、おかしいじゃないかという素朴な疑問を抱くのは評者だけではないでしょう。
 そんな問題に、タイトルからして答えてくれそうな本を偶然見つけたので一も二もなく飛びつきました。

 本書は四章構成で、実は肝心の「温暖化によって雪はこれから減るのか増えるのか」に答えてくれるのはようやく最後の章で、という流れになっています。
 ではそこまで何が書かれているのかというと、その結論を理解するまでに必要な前知識です。日本の雪の成り立ち、降雪の原理、雪の観測の現状といった頭に入れておくべき情報がやさしくかみ砕いて述べられています。特に降雪量と、雪が自らの重さで押されて潰れていく(圧縮されていく)積雪量とは別に考えなければならないという部分は目からうろこでした。
 このような、研究者には当然なのでしょうが、一般的にはなかなか普段思いつかない事柄も少なくないでしょう。そこを本書では丁寧に説明してくれます。

 そして異常気象と地球温暖化現象を解説した第3章を挟み、いよいよ待望の最終章「地球温暖化と雪の未来」です。
 「地球温暖化で雪は減るのか増えるのか?」
 この疑問の答えを詳細に書くのは評者の手に余りますので、是非とも本書を手に取っていただきたいと思いますが、
 「全体の気温が上がっても零度になれば結局雪に」
 「気温が高ければ大気中の水蒸気が増え雲になる」
 「温暖化が進行すれば、日本海の水温が上昇し、寒気の吹き出し時に今以上の水蒸気が日本海から大気中に供給される」
 このような筋立てから見て、少なくとも“北海道の”積雪については楽観視できそうにありません。
 とはいえ、当たり前に自分の周囲にある雪というものに、これほど奥深い世界が続いているという、認識が広がっていく喜びを与えてくれる一冊です。

(石狩市民図書館 N・K☆)


2022年1月14日更新
第12回 『杖下に死す』北方謙三 著 (文藝春秋)




 「大塩平八郎の乱」といっても、日本史の授業で少し習った記憶がある程度、という方が大半ではないでしょうか(評者もそうです)。

 1837年、明治維新の約30年前、大阪(大坂)の元町奉行与力であった大塩平八郎が、貧窮に苦しむ民衆のため、門弟とともに反乱を起こしました。米を買い占めている商人を大砲で襲撃などしたものの、乱は1日も持たずに鎮圧。逃亡した大塩も後に捕縛され、その際に自決しています。

 事件としては以上で終わってしまうのですが、作者はこの一件をあえて大塩の視点で語らず、江戸出身の架空の剣豪・光武利之に託すという形で奥行きのある物語を生み出しています。

 ふらりと大坂の地を訪れた光武利之。大塩の息子・格之助と友情を結ぶ一方、父親の高い身分から町奉行所にも顔が利く利之は、次第に救民を掲げ先鋭化していく大塩一党の起こす嵐に巻き込まれていきます。

 民を救うため急進的な思想に傾いた大塩が無謀にも起こした反乱、という結論が現代では一般的です。しかしこの作品はそのような平面的な解釈ではありません。

 利之を狂言回しとして描かれるのは、天保の大飢饉による米不足を見越した米商人の買い占め、それを放置する幕府の無策、その背後にうごめく幕府重臣の権力闘争とさまざまです。加えてこの事態に乗じ、薩摩藩は朝廷に取り入ろうと策謀を巡らし、西方諸藩は米の高値相場に便乗しようと動き出す…。

 誰もが事態を決定的に動かす力はなく、自分たちの思惑で動くことしかできない。その集合体が世界を構成する要素であり、まっさらな「正義」はどこにもない。大塩ですら単細胞の反逆者ではいられなかったことも明かされていくのです。

 ある種残酷な世界観に貫かれている本作ですが、一貫した利之と格之助の奇妙で固い友情、数少ない利之の理解者たち、それらの存在が一服の清涼剤となっています。最後に利之が下した結論も、残酷な世界に対抗するように凛としており、重く展開する物語なのに、不思議とさわやかな読後感すら残す傑作となっています。

(石狩市民図書館 N・K☆)



2021年12月19日更新
第11回 『さよ 十二歳の刺客』森川久美 著(くもん出版)




 江戸時代モラトリアム、という言葉がつい口に出かかってしまう昨今の出版状況の一方で、児童書にこういったシリアスな歴史・時代小説の力作が出てくるのは大変興味深いです。子どもの方がむしろ厳しい現実社会に真っ向から対峙しなくてはいけない、という証なのかもしれません。

 平維盛の一人娘さよ。平家の姫である幼少の彼女は、訳もわからぬまま壇ノ浦の戦いで入水させられてしまいます。しかし奇跡的に生き延び、運命に導かれるままたどり着いたのが奥州の地。奥州藤原氏配下の武士の養子となったさよは、流鏑馬(やぶさめ)の稽古を欠かさないお転婆な少女に成長します。
 やがてもたらされる驚愕の一報。平家を滅ぼした父のかたき源義経、その張本人がこの地に落ち延びてきたのです。
 義経の嫡男・千歳丸の遊び相手として、まんまと屋敷に出入りできるようになったさよ。
 幼い刺客として、復讐の念と人の心の間で揺れる彼女が下した決断とは…

 いくさを嫌い、家族を愛するさよの父・平維盛が、ある意味現代人的なメンタリティの持ち主だったのではないかという著者の発想がさよのキャラクターにも大きく影響しており、昔の世界として完結しない、今の時代にも通じる深みを物語全体に与えています。
 一方で、敵役である源義経。ここではいわゆる悲劇の名将・薄幸の美青年という一般的イメージから大きく異なる姿を見せてくれます。これまでにない等身大で生々しさにあふれ、ただ必死で戦ってきた一人の男。すべてを達観して生きてきたと思われる彼が、さよとの出会いでどう変わっていくかも読みどころのひとつです。

 運命に抗い、懸命に生きざまを模索するさよの姿は、大人の読者も一読の価値があると思わされます。

(石狩市民図書館 N・K☆)



2021年12月9日更新
第10回 『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』 ブライアン・ハリガンほか(日経BPマーケティング)




 普段めったに手にしないビジネス書というジャンルも、ロックバンド、それも「あの」グレイトフル・デッドが題材となれば話は別です。しかも取り上げたのがビートルズやローリング・ストーンズ、まして日本のバンドではないのが鋭い。それはこのバンドを知る人ほど納得できるでしょう。

 1965年にジェリー・ガルシアをリーダーとして米カリフォルニアで結成されたグレイトフル・デッド。当時のヒッピー・ムーブメント花盛りだったサンフランシスコを中心に息の長い活躍をし、ガルシアの亡くなった1995年に解散。残されたメンバーは今でも各ユニットで音楽活動を続けています。

 よくあるバンドヒストリーですが、その活動内容は型破りでした。流行には目もくれない。レコードは売る気なし。コンサート曲目は毎回違う。音響には破格なほど予算をかける。メンバーはMC(しゃべり)無しで3時間も4時間も演奏。そしてコンサートの録音も自由!
 これが結果的に、ヒット曲はたまたまコミカルなプロモーションビデオが受けた1曲だけという、レコードの売り上げで稼ぎ、コンサートはレコードを宣伝する手段、という当時の常識とは真逆の活動を可能にしたのでした。

 ひとつ実例を挙げます。
「コンサートの自由な録音許可」はレコード売り上げの低下につながったかもしれません。しかし毎回演奏曲目が違うこともあり、コンサート録音のひとつひとつに価値が生まれ、録音テープを交換するネットワークがファン間で産まれたりするなど、むしろコンサート活動への多大な宣伝効果につながったのです。結果として「コンサート集客の激増」「音質のいいコンサート音源の発売」「機材で隠れてステージが見えない場所も録音スペースとしてチケットが売れる」という、商業的にもしっかり見返りを受けることにもなったのでした。

 こうした無料コンテンツでファンを産む、というやり方は、あえてプログラムの中身を公開し使いやすくすることによって、シェアを広く確保する、という現在のコンピュータ業界で多く取り入れられている方法になっています。

 このようなデッドの独特な発想に刺激されたかのような各企業の成功例が、本書では紹介されています。原書が出てから10年ほど経ってしまったので、現在では当たり前になってしまったケースもありますが、それはむしろ本書とデッドの先進性を証明しているといえるでしょう。人と違う道を行く勇気を与えてくれる一冊でもあります。

(石狩市民図書館 N・K☆)



2021年12月2日更新
第9回 『キリギリスのしあわせ』 トーン・テレヘン(新潮社)



 幼少期といえば、近所で飼われている動物を見に歩き、捨て猫がいれば連れて帰り、親に内緒でハムスターをもらってくる、そんな毎日でした。この仕事に就いてからも、タイトルに生き物の名前がついた本を見かけると、吸い寄せられるように手に取ってしまいます。
 そして出会ったのが、2017年に本屋大賞を取ったトーン・テレヘン著「ハリネズミの願い」です。これを機に彼の作品を数作読んだのですが、でも心惹かれたのが今回紹介する「キリギリスのしあわせ」です。

 森のはずれにあるキリギリスのお店。そこの看板には「なんでもあります(太陽と月と星以外)」という一文。店には、日々さまざまな客がやってきます。中にはモノではなく、「誕生会のスピーチ」「新しい句読点」そして時には「ほんものの絶望」を求める者も…。
 次々とやってくる客にキリギリスはいつだって真摯に向き合います。「来てくれたお客様をがっかりさせないように」といつも前向き。次々に新しい生き物が登場し、キリギリスを楽しませたり困らせたり、楽しくもあわただしい日々が過ぎていきます。
ところが終盤、どうしても要望に応えられない客がやってきます。どうしても売ることができないものとは。そのため看板に追加することとなった一言とは…。親切で前向きなキリギリスが感じる自身の中での葛藤も時折顔を覗かせます。

 著者のトーン・テレヘンはオランダの元家庭医で、1984年に娘のために書いた「一日もかかさずに」を刊行。その後も動物を主人公とした作品を次々と発表していますが、物語を書くにあたり「同種類の生き物は複数出てこない」「誰も死なない」等のルールがあります。このテレヘンらしい制作ルールと、何とも言えない生き物たちの奇妙で繊細な描写で、すっかり物語の世界に入りこんでしまうのです。
 長年児童書として刊行されたテレヘンの作品は、今や国を超え、日本では<大人のための寓話>として多くの人の心をとらえて離しません。
あなたは、キリギリスのお店で何を買ってみたいですか?

(石狩市民図書館 Y)



2021年11月9日更新
第8回 『ニッポンの書評』 豊﨑由美(光文社)




 図書館で仕事をしていると実感するのは、新聞や雑誌、特に最近ではネットの書評欄、これらの影響の大きさです。利用者から毎日のように所蔵の有無や新刊購入リクエストを受けるのですが、例えばこれは日曜の新聞書評欄を読まれたんだな、と察する瞬間も少なからずあります。
 では、「書評とは何なのか」と改めて問われるとちょっと詰まります。評者も今まさにこのような文章を書いているのですが、これは果たして書評といっていいのか?という疑問が頭をよぎるわけです。読者の方から「こんなのただの読書感想文だろ?」と言われたら多分落ち込むでしょうが、断固として違う!と反発する理論的根拠も弱いというのが歴然とした事実です。
 どうなんでしょう、読書感想文と書評を分けるものとは?

 そんな疑問ループに救いの手をさしのべてもらいたく見つけた本書。作者は北海道新聞にも連載記事を持っているまさに「ザ・書評家」の豊﨑由美氏です。
 本書の肝になるのが、タイトルにもある「ニッポンの」という部分でしょう。海外と異なる、ひょっとしてガラパゴスとも形容できかねない特徴。

「少ない文章量」
「どこまであらすじを要約できるか」
「ネタバレはどこまで許されるか」
 
 海外の書評は文章量も多く、例えば一般への刊行前なのに、「ハリー・ポッター」シリーズ最新刊を結末まで全部明かして徹底的に批判したものが、「手厳しい書評」で通っていたりもします。一方、豊﨑氏は上記3点を必ずしも是とはしていません。しかしそれらの条件下においても守るべき一線として「書評とは読者を本に結びつけるもの」という点を強く主張しています。
 初読の楽しみを奪うべからず、しかし本を手に取りたくなる情報は入れ込むべし、それならあらすじの要約だけでも立派な書評なり…。
 本書のこういった主張は、いちライターからブックレビュアーというポジションを切り開いてきた豊﨑氏の実体験から来る生きた書評像に思えますし、評者も非常に納得がいくものでした。
 書評という枠を超え、ある種の日本人論・文化論すら読み取れるユニークな一冊になっています。

(石狩市民図書館 N・K☆)



2021年10月27日更新
第7回 『くいしんぼうのあおむしくん』槇ひろし(福音館書店)




 小学生のみなさんから、「おすすめの本はありますか?」という質問をよく受けるのですが、最近はこの絵本を紹介することが多いです。
 『はらぺこあおむし』じゃないですよ!(あちらはエリック・カール著)
 こちらは最近、トラウマ絵本の一冊としてラインナップに挙がることもあるとか…。
 40年以上も前の作品にもかかわらず、それだけ忘れられないインパクトを与えられた方が少なくないということなのでしょうか。

 ある日、まさおくんのぼうしを食べて穴を開けていたあおむしくん。自分でくいしんぼうと謝りながら、おやつのパンもチョコレートもぱくり、おまけに包み紙まで残さず全部たいらげるありさま。いくら食べても「おなかがすいたよう」と情けない声をあげるあおむしくん。とうとう、まさおくんの両親も家も全部食べてしまいました。
 仕方なく旅に出た二人でしたが、あおむしくんは行く先々で森も町も何もかも食べてしまうのです。いくらまさおくんが怒っても食べ始めるともう止められない。はたして旅の結末とは…

 ひたすら何でも食べつくし、どんどん巨大化するあおむしくん。その姿について、大人になって読むと、色々な事象のメタファーとして受け止めるのは容易でしょう。
 一方、有害な排気煙を出している工場を食べて地元の住民に感謝される、という1970年代の公害時代らしい世相を反映している場面もあります。ですが、せっかく歓迎してくれた住民までおかまいなしに全部食べてしまうという予想外の展開に、子ども向けの絵本でも安易なヒューマニズムには甘えない作者の気概を感じます。完全に読者の意表をついたラストもまったく古びておらず、考えさせるものが残ります。

 先日は小学3年生の児童さんから、「幼稚園で読んでもらった!すごくおもしろかった!」との声を聞きました。きっとこの本のことはそう簡単には忘れないと思いますし、将来は次の世代の子に自分で読んであげてほしいな、とうれしく感じた瞬間でした。

(石狩市民図書館 N・K☆)


2021年10月7日更新
第6回 『三陸海岸大津波』吉村昭(文藝春秋)




 苫前郡三毛別村の凄惨な熊害事件を描いた代表作『羆嵐』など、没後15年を経ても未だ読み継がれている吉村昭。その膨大な数に上る著作中では比較的地味な存在の本作です。今から半世紀前にひっそりと新書で出た際には、熱心な読者ですら見逃してしまった人も多かったでしょう。  
 しかし10年前、埋もれていた本作がにわかに脚光を浴びました。東日本大震災の大津波を予見していたような内容だったからです。そして地域の言い伝え・伝承・記録の重みを改めて吉村氏から日本人に突き付けられたとも言えます。

 東北地方の三陸海岸地域では、数知れないほどの大地震・大津波が定期的に発生していたことは本書でも一項設けられており、その数の多さには戦慄します。本書ではその中から多くの記録が残る明治29年と昭和8年の大津波のありさまを余すところなく描き出しています。
 「研究家ではなく、単なる一旅行者に過ぎない」というまえがきは自嘲でしかないでしょう。残された膨大な資料にあたり、また自らの足で相当な数に上る津波体験談を収集したあとが伺えます。それらの資料を咀嚼したうえで描かれる吉村氏自身の手による再現記録は、あおるようなセンセーショナリズムを排した抑制された文章です。それがゆえ、かえって津波の真っただ中にたたきこまれたかのような迫真性に満ちています。

 そして読了後には、こんなに過去の人々が後世のため津波の教訓を、知恵を、情報を残していてくれたのに…という無念の思いを感じずにはいられません。「この地域では定期的に津波が起こるのは避けられない」という教訓は本作をもってしても伝わらなかったのですから。

 吉村氏が亡くなったのは震災の5年前です。本書終盤には今後の防災対策による明るい未来を信じていた記述があり、本当に何とも言えない気持ちになります。そして、震災の情報は大量に蓄積されましたが、本書も後世に必ず読み継がれるよう伝えていくべきではないかと改めて思うのです。

(石狩市民図書館 N・K☆)


2021年6月25日更新
第5回 『チーズバーガーズ』 ボブ・グリーン(文藝春秋)




 「こんな世の中になってしまったことを、この人はどう思っているのだろう」
 誰でもそう聞きたくなる人がいると思います。筆者だとまず思い付くのは忌野清志郎氏ですが、故人の氏にもう意見を聞くことはかないません。そんな中で、久しく忘れていた名前が脳裏に浮かんできました。

 ボブ・グリーン。かつてはアメリカを代表するコラムニストと言われ、1980~90年代には日本でも多くの著作が翻訳されていました。確か教科書やテスト問題にも、その文章が取り上げられたこともあったような…?

 本書は、日本でも名前が知られ始めた1986年に訳されたコラム集です。
 我々がつい見逃しがちな日々のささやかな出来事を数多く取り上げ、あくまで市井の目線から平易な文章で綴られたものが中心です。時にほろ苦い結末になりながらも、著者のやさしさと良識をふわりと毛布のように肩にかけてくれる暖かみのある読後感を残してくれます。そんないわゆる「アメリカの良心」を感じさせてくれるところが日本でも人気の出た秘密でしょう。こういう文章が書ければ、と個人的にもあこがれを抱いたことをよく覚えています。

 今再読すると、大人になって会社重役や作家など社会的に大きく成功しながら、少年時代に所属するスポーツチームから冷たく扱われたことが今でも深い傷となって残っている人々に取材した「失格の烙印」が強く印象に残りました。どうやら開催されるらしいオリンピックを前にして、スポーツの価値や選手にもたらす影響を再考させられたからかもしれません。

 残念ながら、ボブ・グリーンは2000年代にある事件で長く勤めていた新聞社を辞めて以来、徐々に第一線から退いてしまったようです。近年は邦訳も無く、ネットで調べてみても記事はおろか発言のひとつも見つけられませんでした。おそらくほぼリタイア状態なのでしょう。それでも、こんな時代だからこそ彼のユーモアとウィットに満ちたコメントを聞いてみたいのです。
 「こんな世の中になってしまったのですが、あなたのお考えはどうでしょうか?」

(石狩市民図書館 N・K☆)



2021年4月16日更新
第4回 『大瀧詠一 Writing & Talking』 大瀧詠一(白夜書房)




 ジャパニーズポップス史上最高の名盤との誉れ高い『ロング・バケイション』(1981年発表、当館にも所蔵あり)が40周年を迎え、これに伴った豪華な記念盤のリリース、そして何より各種の音楽配信サービスで解禁されたことによって、最近再び大瀧詠一に注目が集まっているようです。海外で人気を集めている、日本のいわゆる「シティ・ポップ」の源流のひとつという見方が生まれたのが近年の特徴でしょうか。

 一方で、音楽と同じくらい膨大な文章や対談を残していることは、熱心なファンには常識ですが、『ロンバケ』を1980年代の懐メロとして消費だけをしてしまった層にはあまり知られていない感があります。大半が雑誌やラジオ、そしてインターネット以前のパソコン通信上で発表されただけで、単著としてまとめられなかったことも大きいのですが。
 その内容も、音楽ネタはもちろん、野球、芸能、映画、政治etcとあらゆる方面に及んでおり、一文化人の域をはるかに超えるものです。それら大量のテキストの中から厳選(それでも900ページ以上の大ボリューム!)したものが本書となっています。

 改めて氏の文章や発言に接すると、一文に込められた莫大な情報量に圧倒される分、少し頭の中で交通整理が必要な瞬間もあります。しかし一貫しているのは、対象へのあふれかえる愛情で、読んでいると思わず頬が緩んできます。その一方で、そんな簡単に理解してしまっていいの? そう物事は単純じゃないんだよという氏の苦笑じみた肉声も聞こえてくるようです。

 昔、氏のある楽曲の元ネタを指摘した人に対し、たった一つだけ? あれには20曲くらいから引用したネタを仕込んでおいたのだが、と返してやり込めたという有名なエピソードがあります。
 本書もそのように「裏の裏まで、言葉の隅々まで」読み込める楽しみに満ちた一冊になっています。

(石狩市民図書館 N・K☆)



2021年3月2日更新
第3回 『エスキモーになった日本人』 大島育雄 (文藝春秋)




  2月12日はあの冒険家・植村直己氏の誕生日であり、翌13日が命日(遭難したマッキンリー山中で最後に連絡更新した日)となっています。それもあり、2月に入ると氏のことを思い出して、ついネット検索などしてしまうこともあるのですが、その中で目にとまったのが本書です。

  作者の大島育雄氏は、人生の一時期を植村氏と共有しています。
  日本大学山岳部出身で卒業後に北極圏登山を目指していた大島氏、犬ぞり技術習得のため北極圏での訓練を考えていた植村氏、人づてに互いの存在を知った二人は、「世界最北の村」グリーンランドのシオラパルクで共同生活を送ることになるのです。

  勝手がよく分かっていない日本人二人が、この村で起こした数々の抱腹絶倒なエピソードが本書で描かれています。それを笑って受け入れる大らかなエスキモー(イヌイット)の人々やシンプルな生活に魅了された大島氏。一旦帰国後、再び仕事で村に来た後はそのまま同地に住み続け、やがて一大決心をします。村の娘と結婚し、一エスキモーとして生きる道を選んだのです。

 …大島氏の飄々とした筆致につい乗せられがちになるのですが、こうしたええー!と思うような大胆な決断を次々に下し、着実に日本とは全く違うエスキモーの生活に順応していくあたり、大島氏は「あり得たかもしれないもう一人の植村氏の姿」だとも思えてきます。
 世界的な冒険家になっても、まったく以前と変わらず、一人で犬ぞりに乗り、魔法瓶や醤油をおみやげに大島一家を訪ねてくる植村氏のエピソードはちょっと感動しました。その2年後に植村氏が遭難し、この時のおみやげが遺品になってしまった箇所は、淡々とした記述ながらむしろ深い哀しみにあふれているように感じます。
 大島氏はその後もシオラパルクで家族と生活し続けており、現地でも有名な存在だとのことです。

(石狩市民図書館 N・K☆)



2021年2月13日更新
第2回 『プロパガンダ・ラジオ 日米電波戦争幻の録音テープ』 渡辺 孝 筑摩書房




 フェイクニュースというものが毎日流れる光景もすっかり日常と化してしまいました。「大本営発表」という名のプロパガンダしか無かった太平洋戦争の頃とどちらがましなのでしょう。この用語が今でも現役で通用している皮肉な現実もあるのですが。
 戦前の国内においては、そのような言論統制による情報コントロールを強いていたわけですが、では海外の方では? その一端を取り上げたのが本書です。

  実は敵国のアメリカやイギリスに対し、軍事的行動と並行して、ニセ情報による混乱誘導や、戦意喪失を狙ったラジオによるプロパガンダ放送を積極的に行っていたのです。それが日本放送協会の海外短波放送、通称「ラジオ・トウキョウ」。

 日本では実態があまり知られていなかったこの放送。まさかの海の向こうのアメリカで大量に資料が発見されました。そう、傍受した放送の録音が発掘されたのです(さすがラジオ、焼いて終わりとはいかなかった…)。

 当時の放送録音を調べていくと、意外な事実が分かってきます。ニュースについては、いかにもプロパガンダ!といった日本に有利な内容ばかり。ところが番組によっては、ジャズなど戦中の日本では考えられないようなBGMを使い、女性DJによる可愛らしいトークを盛り込むなど、意外に巧みな硬軟両面から攻める戦略を取っていたのです。

 特に女性DJ《東京ローズ》が当時の放送を聞いたアメリカ人に与えたインパクトは絶大だったようで、終戦から遠く離れた1989年でも、著名なミュージシャン、ヴァン・ダイク・パークスが『Tokyo Rose』というアルバムを発表しているほどです。

 一方で、戦争後期では現実離れした過大な戦果を流し続ける日本側の放送が、半分ギャグとして海外では受け止められ、ニュースで現地アナウンサーに茶化されていたエピソードなどは笑うに笑えません。また、そんなプロパガンダによりかからず、逆にわずかに残った交渉チャンネルとして、ラジオ・トウキョウを通じ終戦の糸口を探ろうと密かに活動していた人々を描いた後半もかなりの読みどころとなっています。

 戦後70年を過ぎても、まだまだ秘められた事実の多さを思い知らされる一冊です。

(石狩市民図書館 N・K☆)



2021年1月26日更新
第1回 『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧幻の
三連覇』 中村 計 集英社




 以前タウン誌「まちあかり」で掲載されていた「石狩市民図書館ブックレビュー」コーナーが、ネット上で復活しました!
 図書館資料の中から、職員がお勧めしたい資料を順次取り上げていきたいと思います。

 第1回は、あの2004年から2006年にかけて、夏の甲子園で「栄光の2.9連覇」を成し遂げた駒大苫小牧高校野球部、その監督として全国に名前をとどろかせた香田誉士史氏を描いたノンフィクションの力作です。

 当時試合を見ていて、本当に負ける気がしませんでした。
 なかでも、エース田中将大が打ちこまれ、7回表で5点差の大ピンチ、相手の監督に「九分九厘勝った」と確信されたその裏の回、猛攻で一気に6点を入れ大逆転勝ちした2005年夏の鳴門工業戦は、今でも評者にとって「あらゆる野球試合の中でも最高の試合」として深く記憶に刻み込まれています。

 この突然変異的な強さは何だったのか。

 まずは田中投手を始めとした素晴らしい選手たちがあげられるでしょう。しかし本書を読んで思い知らされるのは、それ以上に香田誉士史という強烈な個性を持った青年監督がいたことです。雪上練習といった新しい方法論の功績も見逃せません。ですがトップに挙げられるのは、なにより香田監督の特異なキャラクター、これがもたらした影響こそ大だったことが明らかにされていきます。
 徹底した細かな場面ごとのイメージ練習、ほんの些細な失敗も見逃さない、破れば特大の監督のカミナリ。
 これだけ選手を厳重に管理し縛り付けておきながら、いざ大会では選手も監督もなく一緒になって大騒ぎ。「人生で一番怖い人」な監督がいつもニコニコ。この一気に手綱を離すようなギャップを示すことが、本番で選手を爆発させ、実力以上の力を引き出すもととなった。各選手の発言からも浮かび上がってくるこの事実は、駒苫ファンとしてもなかなかの衝撃です。

 しかし、甲子園という大舞台で実力以上のものを引き出されたのは、監督も例外ではなかったのかもしれません。
 「(優勝して)嬉しかったのは最初の三分だけ」
 そんな痛々しい監督の言葉。あまりに巨大な成果を出してしまったことによるプレッシャー。このことが、実は人一倍繊細な監督にのしかかっていく後半の展開はかなりヘヴィーです。それでも3年目、あの伝説的な決勝戦引き分け再試合まで行ったのですから恐れ入ります。

 三連覇を逃してから2年後、北海道中を熱狂させた名監督は、ひっそりと苫小牧を去ります。辞めるまでの複雑な事情も本書で書かれていますが、あの駒苫フィーバーを知る人にとっては、あまり気分のいい顛末ではありません。社会人野球に転向した監督も、以後の駒大苫小牧も、過去の栄光に匹敵する成果が出せていないのが現状です。それでも評者を含め、あの3年間の夢ふたたびと待ち続けている道民は少なくないのではないでしょうか。

(石狩市民図書館《N・K》)